負けを認める潔さって必要かも?

2015-10-23

ライター:新村圭寛

 

はぁ~い皆様ご無沙汰しておりました。

 

今回2度目のブログ書かせて頂きます。

 

私、当ホームページの編集長(誰から選ばれたわけでなく勝手に自分で襲名)

 

を務める新村でございます。

 

前回は卑猥な表現を多数使用したため“今回も?”なんて期待を頂いているか

 

とも思いますが今回は残念ながら無いんですよ~。ごめんなさい。

 

さてタイトルの“負けを認める潔さって必要かも?”って事について書きますね。

 

本来、愛知県在住の私ですがここ1年、半分以上を仙台で暮らしております。

 

出勤日は良いのですが休日は知人友人のいない私にとって暇の極致な訳です。

 

ギャンブル狂の私にとって暇な時間は生死を賭けた戦いの時間に変わってしま

 

います。

 

私の週末の過ごし方

金曜日の夜に競馬新聞を買い土曜の準備(一発当てて大儲けした自分をイメージしながら予想)

土曜の日中は競馬(まず負けます)

負けを取り返しにパチンコへ(一発逆転しか狙っていないのでこれも負けます)

土曜日の負けを取り返すために日曜の競馬新聞を購入して帰宅(もはや穴馬しか見えない状態で予想)

日曜日の日中は競馬(結局穴馬は来ず本命馬の強さを認識させられ夢は夢と散る)

意識朦朧でパチンコへ(このころはもう記憶が飛んでます。いたずらに時が過ぎるだけ)

 

ボクシングで例えるならもはやサンドバッグ状態の殴られっぱなし・・・

 

KO寸前!?いやとっくにKOされているはずです!

 

なぜ立ち上がる?早くダウンして楽になればいいのに・・・

 

そんな時・・・私の頭には決まってあの人の姿が思い浮かんでしまうんです・・・

矢吹1あしたのジョー

 

矢吹 丈・・・「まだ試合は終わっちゃいねえ!」

「まだ真っ白に燃え尽きちゃいねぇんだ!」

 

私は“そうだ!まだ俺は燃え尽きちゃいねぇ!俺はこんな所で負けるわけにはいかねぇんだ!矢吹 丈のように立ち上がるんだ!”

     

などと自分に言い聞かせ又戦場に戻っていきます。

 

こんな私を突き動かすルーツとなっているもの・・・

昭和生まれの42歳・・・

 

私が自分の人生に取り入れてきた作品↓

スクールウォーズ]

 

あしたのジョー

 

私はこの2つの作品から“あきらめない気持ちの強さ”と“最後までやり通す事の大切さ”を学びました。(勿論他にもいっぱいありますが・・・)

 

今の時代では古い考えと言われるかもしれませんが精神論は大切だと思います。

 

体を動かす源は気持ち!

 

大抵の事は気持ちで何とかなるもんです。

仕事ではそんな考えが結果に結びついてきたという自負もあります。

 

でも今思えば・・・これに気付くべきだったのです・・・

 

仕事とギャンブルは別物

 

気付かない私は更なる闘いを繰り返しました。

 

ボコボコにされて尚「先週は運が無かっただけだ。今週こそは!」と切り替えます。

 

・・・?!

 

何という事でしょう・・・

 

神は私に更なる闘いを命じているのか?と思わせるような事が起こりました。

矢吹遊技台

 

私の生きる参考書“あしたのジョー”がパチンコ台となり登場してきたのです。

 

しかも最もギャンブル性の高いMAXタイプという仕様・・・

 

もはや私に闘わない理由はありませんでした・・・

 

悪夢は何度も繰り返されましたがその都度立ち上がり

 

そして・・・ついに・・・

矢吹2

 

「燃えたよ・・・真っ白に・・・燃え尽きた・・・」

 

私もジョーのように燃え尽きました・・・

 

私はやりきった!そして負けたのです。

 

今では清々しくも感じます。

 

今思えば原作の矢吹丈と同じように私も・・・

 

戦う前からパンチドランカーだったのかもしれないと・・・

 

最後にギャンブルは熱くなったら負けです

 

あきらめて帰ることやしばらく我慢する事も必要です。

 

私のように“血湧き肉躍る”と大変な事になります。

 

ほどほどにしましょう。

 

次回のブログリレーは水野さんです。

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