俺が思う凄い人物紹介~パート②

2023-10-30

ライター:長山

前回に引き続き

 

 

俺が思う凄い人パート②

 

 

 

 

 

その名も

 

 

 

 

室伏広治

 

日本のハンマー投選手、スポーツ科学者、陸上競技指導者。

さらに引退後、スポーツ庁長官、東京医科歯科大学非常勤講師。

 

2004年アテネオリンピック ハンマー投の金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを獲得したのはアジア人史上初の快挙。ハンマー投のアジア記録・日本記録保持者。日本選手権で前人未到の20連覇を達成している。

 

 

当然の事、知らない人はいないと思いますが、彼が残す伝説は尋常じゃありません。

 

 

かれが残した、伝説をご紹介。

 

 

 

 

①始球式

 

2005年のプロ野球、巨人vs横浜の始球式で、室伏広治はマウンドに立ちました。室伏広治は、ほとんど野球経験がありません。しかし、にこやかに笑みを浮かべ、すっと投げたボールは、ストライクど真ん中、そのスピードは、なんと131km/h!

 

実況、選手、観客、その場にいた全ての人々が、驚きと興奮に包まれました。さらに、ブルペンで始球式の練習をした時には、スピードは140km/hを超えていたというのですから、さらに驚きですよね。

 

 

 

 

 

②立ち幅跳び

 

以前はオリンピックの正式種目でもあった、立ち幅跳び。世界記録は、オリンピックの金メダリスト、レイ・ユーリーという選手が記録した、3m47cmでした。

 

2002年、テレビ番組で密着取材中だった室伏広治は、練習中に跳んだ立ち幅跳びで、世界記録を10㎝以上超える、3m60cmを記録しました。

 

その時の室伏広治のジャンプは、記録を狙って真剣に跳んだ、という雰囲気ではなく、普通に歩いてきて、ジャンプをしたら世界記録を超えた、というような雰囲気でした。

 

 

 

 

③やり投げ

 

高校時代、国体に出場した室伏広治は、専門外のやり投げに出場し、堂々の2位、 準優勝になりました。国体と言えば、トップレベルの選手が集う大会です。その大会で、ハンマー投げの選手が、やり投げで準優勝を勝ち取ったのです。

 

この伝説には証人もいて、タレントの照英は、室伏広治と同学年で、同じ国体にやり投げで出場し、実際に室伏広治と競いました。照英は、室伏広治がやり投げをする姿を見て驚き、なぜそんなに投げられるのか、と室伏広治に聞いたそうです。

 

 

④握力

 

室伏広治の握力は、なんと127kgを超えるそうです。ハンドグリッパー「COC/No.3」は、握力を鍛える器具で、握力が127㎏以上ないと握る事が出来ない代物です。このハンドグリッパーは、室伏広治を含めて日本人では5人しか握る事ができません。

 

 

室伏広治は、テレビ番組に出演した際にそのハンドグリッパーを渡され、ウォームアップなしで、一発で握り切ったのです。

 

ちなみにゴリラの握力は約140kgです。

 

室伏=ゴリラ

 

 

 

⑤強すぎて出禁

 

過去にTBSで放送されていた、筋肉番付。2002年にこの番組に初出場した室伏広治は、その圧倒的な強さが理由で、 番組を出禁になる、という伝説を作りました。

 

プロのアスリートや、オリンピックメダリストなどを集めて行われた、「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」での出来事です。

 

ビーチフラッグでは、陸上のオリンピック元金メダリストや、100m世界新記録を樹立したこともある選手がいる中、圧倒的な瞬発力と足腰の強さ、驚異的な加速力で1位を獲得しました。

 

また、ロープでつながれた2人の選手が、スタートの合図で反対方向に走るパワーフォースでは、室伏広治のパワーと足腰の強さで、アメフト選手だった河口正史をも破り、 1位になりました。

 

他にも、10kgの樽を投げるザ・ガロンスローでは、世界記録の8m25cmを記録。跳び箱のモンスターボックスでは、踏み切りが合わないというアクシデントがありながら、18段をクリア。

 

上から落ちてくるバレーボールを落下前に触れる、ショットガンタッチでは、初挑戦ながら12m90cmを記録。このように、ほぼ全ての種目において室伏広治の一人勝ちになってしまい、勝負にならない場面を多く作りました。

 

室伏広治があまりにも強すぎて結果が容易に推測出来てしまうため、番組として成り立たないという事で、室伏広治の出演はそれ一度きりとなっています。

 

 

とまあ、尋常じゃない室伏。スポーツ界に数々の伝説を残し、現在は現役ではないものの裏方として日本スポーツ界を支えています。

 

 

すげぇ・・・。